自己紹介

いきなり死にかける

1960年11月 群馬県生まれ。

生れて2週間で父が他界。
以降、貧乏が続く。
3才のとき、アナフィキラシーショックで入院、
今夜が峠といわれる。
半年ほど入院。
小学校に入学後も、とにかく体が弱く、
良く休んだ。
算数など勉強についていけず、落ちこぼれる。
そうこうしているうちに、イジメの対象となる。

母の愛と兄の頑張り

体は弱かったこともあり、
母と過ごす時間が多かった。
とても優しい母で、
できない息子を我慢して
寄り添ってくれたと感謝。
母の愛情がなければ、
もっと早く亡くなっていたと感じている。

3歳違いの兄は
中学を卒業して高専に進学した。
新聞配達のバイトをずっと続けていた。
生活を支えてくれた。

兄に感謝。

いじめに負けない!

中学に入学。成績が上がり始める。
体が丈夫になってきたためだろう。

それはそれで、ジェラシーの対象になる。

なかなか強烈な苛めにあう。
馬乗りで首絞めれたこと、
3回。

中一のとき、首を絞めらて、
よだれが垂れた。

「負けるか」と思った。
屈しなかった。

こころの強さは
このとき養われた。

理系の大学に進学するという強い心があった。
中学3年で成績がアップし、
進学校の高校に進学を決心。

母からは、
「浪人をさせる金はないので、試験に落ちたら働く」よう言われた。
1年間、睡眠4時間、10時間くらい勉強。
このときの頑張りは、ピンチのときの心の支えになった。

振り返ってプラスになったこと

貧乏で、いじめられ、そして体が弱かった私。
しかし、そんな環境だからこそ
学んだ貴重なことがあります。

● 勉強は工夫すればできる
  塾や通信教育をうけたことがありません。
  習い事も経験がありません。
  勉強はすべて学校と自宅。
  中学や高校の先生に質問して
  受けたフィードバックがすべてです。
  工夫と先生からの助言がすべて。
 
  このとき、
  工夫することの大事さ
  先生の助言の大事さを
  痛切に感じました。

● やさしさ
  小学校のころ、友達がいました。
  精神的な疾患を持っていた
  子供たちです。
  たしか、わたしより
  1,2学年下でした。
  学校が終わると、よく遊びました。
  小学校の授業でも、
  養護学校の子たちと交流がありました。

  偏見はいっさいありません。
  さげすんだりするのは
  醜いこころだと
  昔も今も思っています。

  そんなきもちが強いので
  いまでは
  毎週土曜日は地域のボランティアに参加しています。
  2009年くらいからずっとやっています。

  こんな気持ちが続いているのは
  いじめられたこと
  そのとき優しく接してくれた
  友人や母、兄がいたからです。

  本当に周りのやさしさがなかったら
  とっくに亡くなっていたと思います。   

● 健康
  こどものころから
  病気ばかりしていました。
  3才のころアレルギーで死にかけました。
  治癒したのは11才くらいです。

  成人してからは、
  不眠症に悩まされました。
  28歳くらいのころ。
  毎日12時間くらい仕事をしていましたので
  体調を狂わせてしまいました。
  夜中の2時になると
  目が覚めて眠れなくなるのです。
  これが数か月続き
  「これは死ぬな」と思いました。
  労働時間を減らしながら
  なんとか乗り切ました。

  どのくらいひどかったかというと
  夜中の2時に突然目が覚め
  動悸や呼吸が激しくなったり
  性器が勃起するのです。
    
  今おもうと
  交感神経が異常な状態だったのです。

  こんな体験がありましたので
  健康の大切さ
  心の健康の大事さを痛感しているのです。

目標に向かって計画を立て、実行すること
いじめや優しい人を通して学んだ優しい心
死に直面して学んだ健康の大事さ
この3つを決して失わない事
それが
榎田の柱です。

プログラマとして問題解決の技術を身につける

富士通にプログラマーとして入社。
保守と開発を両方行っていたので、忙しく
月80時間くらい残業していた。
年間100件くらいトラブル解決をこなしていた。
これが15年くらいあったので 1500件は回答したはず。
ひとりでこなすばかりではなく、
現地調査や、関係者を集めて、
問題解決のチームを作り、指揮したりした。

「(売った商品を)持って帰れ!」など
相当なプレッシャーのかかる状況もあった。

様々な修羅場を乗り越えたことで
メンタルがとても強化された。

40代になってから英語の仕事をマスター

40才になることから
会社が海外展開を強化しだした。

何の間違いか
海外関連のマーケティング業務に移る。

海外業務の経験がゼロで
1年間はできそこないだった。

自力で勉強する習慣が
身についていたので
1年たったらある程度
英語で書いたり、しゃべったり
できるようになった。 

レベルとしては
ネイティブの人と
電話会議をして
議事録を即日で
作れるまでには上達した。

4年目くらいには
英文のプレゼン資料やチラシを
作れるようになった。

米国の取引先から
「君の資料欲しい」と言われたして
少しうれしかった。

周りが
辛抱強く見守ってくれたおかげである。

感謝。

ボランティアに精を出す

50代に入ってから
人生観が変わっていきました。

出世しているわけでもないので
会社ベッタリというのも
うんざりしていた。

このころから
真面目に行っていたのが
ボランティアです。

横浜市のボランティア団体
「春一番」で、ご老人の方々に
手製のお弁当を配る活動に参加した。

土曜だけの活動だか本当に楽しい。

人にGIVEすることの
大事さを学んでいます。

今でも
土曜には「春一番」に参加しています。

心機一転、カウンセラーとメンタルトレーナーの資格取得

50代になってから、
人と人の間で役に立ちたいと考えだす。
心理カウンセラーとメンタルトレーナーの資格を、
ハートフルカウンセラー学院で取得。
認知行動療法とメンタルトレーニングを
マスターする。

メンタルトレーナーの視点で
組織や社員の行動を分析する習慣ができる。

「仕事が上手く行かない」原因の
80%はメンタルであり、
セルフイメージの悪化であると気付く。

周りから何かを断られたり、
仕事で失敗したとき、
多くの人はセルフイメージが下がることが多い。

そのセルフイメージの悪化が、
ストレスを生み、仕事が上手く行かない原因となるのだ。
ネガティブなマインドで転職してしまうケースの要因でもある。

私はメンタルブロックを破壊する方法を、
認知行動療法で体得していた。
このメンタルブロックを破壊する方法を。会社で応用し、実績を積む。
セルフイメージを改善し一定に保つことが、
セールスの成功の核心だと知る。

「つらい」、「苦しい」という
感情の言葉

部下に対して、「大変だったね」という
ねぎらいの言葉

これらの右脳にアクセスする言語を使わない
社員が多いことに気付く。

会社でのコミュニケーションの種類に
タスクとメンテナンスという言葉がある。

タスクは、依頼された仕事を実行すること。
また、依頼し、結果を確認すること。

メンテナンスは、
部下やチームの仲間との関係を良好に保つため
言葉でケアすること。助言すること。

このとき感じたのは
会社のコミュニケーションの
98%がタスク
2%がメンテナンスだということ。

メンテナンスのパーセンテージを増やさないと

人間は消しゴムじゃない!
と怒りを感じた。

メールや対面でのコミュニケーションを観察すると
仕事の依頼や指示がほとんど。

メンテナンスを目的としたコミュニケーションは少ない。
これでは、疲れてしまう。

この経験を基に、会社員、
特にセールスマンのメンタルを鍛えるプログラムを作成、
こころサプリを立ち上げる。

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